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何年ぶりだろう。  

いつかまた会えるだろうと漠然と思っていて、重い腰を上げず
もう、、なんだか、、言葉もありません。。

4月に亡くなった大学時代の研究室の三宅先生。
偲ぶ会に参加するため、豊橋に行ってきました。

大学時代、建築設計に興味がありながらも、
計画系の研究室に入るのに抵抗があり、
反骨精神みたいなものから(素直じゃないだけ?意地っ張りなだけ?)
構造系の研究室に入りました。。
が、そこでは情熱を持った先生たちと学生たちによって
とても創造的に材料や力学などに関する研究が進められていました。
どの世界も創造的なんだなー…と衝撃的でした。
こうしたらどうか、ああしたらどうかと議論を聞いてるだけで楽しかった!
その純粋さを目の当たりにした私は、
「不純な動機で入ってゴメンナサイ;」と心底思ったのでした。。
こんな気持ちで在籍するのは失礼極まりないので
とりあえず構造の研究室を出て、路頭に迷うわけです@@@
それでも・・・やっぱり計画系は入りたくない(笑;)。。

三宅先生は住宅需給構造などを研究していました。
一見バラバラな無秩序にも思える現象の中から、
データを集め、実際に歩き、こんがらがった状況を整理、問題点を探し出す。
そんなふうに法則や因果関係を見つける作業をする。
未来のより良い住環境を思いながら。

あ*ここだ。

と思いました。
フラフラといろんなことに対して煮え切らない私を快く受け入れてくださって、
お酒の大好きだった先生や先輩たち、同期たちと
泣き笑いに満ちた時間を過ごしました。
オモイデ
先生のゼミメモ、あの頃は読めてたなー。。今、全然読めない。

卒業する際に先生から「迷ったときは、サイコロをふって決めればいい。」
と、木のサイコロをいただきました。私は無駄に考えすぎるから;
今でも大切に持っています。見えるところに置いて。。
先生からいただいたサイコロ


・・・

通夜・葬式ではなく「お別れ会」としてほしい。飾る花は色とりどりに。
それと、「偲ぶ会」を開催してほしい。との遺言だったそうです。
先生が作成した『エンディングノート』なるものを見ました。A4 2枚くらいだったかな。
「会は悲しむのではなく和やかに楽しく。
でも、下品なのは嫌。教養や知性のある会としてほしい。」とのこと。
会で流すBGMや役割分担、遺骨について、戒名について…etc
アンケート形式で書かれていて、先生らしいなって笑ってしまいました。
そして、最期の数日前に録音された肉声も聞かせていただきました。

「死ぬつもりはないけど、気持ちよく死ねそうです。」

ウグイスの鳴き声が聞こえる病室にて。
しんどそうだけど穏やかな声でした。

偲ぶ会

先生はもういないけど、先生の作った梅酒が*
先生の梅酒
仕込んでいる姿を想像したりして。寂しいけど あたたかい。

先生はよく、自分の「醇」の名前について話していたなー。
あと、お父さんのことも。それと故郷 中津川のことも。
版画が趣味で、葉の落ちた冬の木が美しいって話してたなー。

先生の版画  恒子さんの版画 とてもあたたかいです。
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恒子夫人や娘の晶さん。
キャッキャとさわやかにパッと明るくなるように笑うお二人に、
私たちが癒されました。
偲ぶ会には1期から25期(私は24期)までの先輩後輩たちが集まり
ひとりずつ三宅先生との思い出などを話しました。
大学時代はとてもしんどくて記憶にフタしている面もあり、
今回の豊橋までの道中、その当時を思い出そうにも浮かんでこなくて。。
でも、豊橋市内に入って風景を見てるとと少しずつ思い出して…
いろんな方々の話しを聞きながら、もっと思い出してきて…
参加できてよかったなーと心底思いました。大事なこと色々思い出せました。
会のお世話をして下さった中西さん、浅井さん ありがとうございました。

category: ソラ

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